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クリントン大西の裏日記

2017

0323
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2011

1230
23:48

yaminabe.jpg















昨日やった闇鍋。持ち寄った食材の殆どが洋食であった為、コンソメで味付け。

あれだけメチャクチャやっても、わりと食えるものだな。きつかったのは乾燥トマト。あとポテトチップスはすぐに砕け散る。



というか、今日もついさっきまで忘年会やってたんですがね。二日連続で遊ぶなんて、かなり久々かも知れないな。たまにはハネを伸ばすのも悪くはないか。

いや普段からそんなに忙しい日々を送っている訳でもないが、「遊びに行く」ということはあまりしないのだな。普段忙しくしていてたまに思いっきり遊ぶというスタイルではなく、普段ぼちぼちのペースで平常運行しつつ、それを延々と続ける感じ。


閑話休題。

ところで、少年漫画とかでよく「命がけのショーブ」みたいなのが出てくる。最後の命を燃やして凄いパワーが、的な。でも大抵は「命がけ」と言いつつ毎回するっと生き残ったり、死んでもケロッと生き返ったりするので、殆どお約束────さえ通り越し、お笑いになってしまっている。

前置きが長い? じゃあ少しすっ飛ばそう。

要は、命をかけたから何なの? と。

確かにその個人にとって、自分の命は何よりも尊いものだろう。でも、第三者からすればどうか? また家族友人知人といった知遇ある人ならさておき、会ったこともない赤の他人様の命はそこまで重く感じられるのか。

具体的に言うならば・・・・・・・・見ず知らずの人がいきなり出てきて、「命を懸けるから、貯金全額くれ」と言われ、あっさり出せるか?って事。その人の貯金が300万円あるとして、たぶん大多数の他人はそれより下の価値だろう。

その人がこれまでにどんな人生を歩み、何を積み上げ、そのイノチガケによってどれほど大きなものを犠牲にするのだとしても、それがどんなに悲劇的絶望的ヒロイック感に充ち満ちていたとしても─────「命懸け」の値打ちは、当事者以外にとってはその程度である。

創作上のキャラクターの「イノチガケ」に感動できるのは、それだけ感情移入しているからで・・・・つまりキャラが怒るように読者も怒り、キャラが泣くように読者も泣く、というような状態に持っていくことが1つの理想なのかな。

「命をかけたから何なの?」

というこの身も蓋もない、しかしあまりにも正しい事実をどれだけ物語の力で麻痺させるかが、物語創作表現者の腐心すべきポイントなのではないかなーと最近思うのだ。

 
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命をかけると…
やっぱり、迫力が生まれて説得力が出てくるんじゃないですか。

迫力=説得力って「刃牙」の作者も言ってますし。
命をかければ、『衰弱しきったら、砂糖水14kg一気飲みすれば回復する』って理論も迫力で通りますよ。
2011/12/31(Sat)18:50:13 編集
迫力が喪失する瞬間
問題は、それがパターン化してしまっている点なのでしょうね。それが迫力を失わせ、説得力をなくしている要因なのだと思われます。
クリントン大西 2011/12/31(Sat)19:59:22 編集
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